Cahier-Sonore
音の手帖
2021.10.31
創作の手帖
−「美しさ」について−
私の創作上の大きなテーマは「美とは何か」ということです。あまりにも巨大で、一つの学問になってしまうようなこのテーマは、創作だけではなく、研究のテーマでもあり、人生そのもののテーマでもあると思っています。
しかし、このテーマは本当に大きすぎるものです。そのため、実際には限定的なテーマで作曲に取り組んでいます。それは「官能美と形式美の均衡」ということです。前の記事でも少し触れましたように、私は学生時代から官能的な美しさをどのように音楽で表現できるのか考えてきましたが、官能性だけでは曖昧な実態の薄い作品になってしまうように感じてきたのです。
そこで官能性とともに大切にするようになったのが形式性です。伝統的な形式感を持ちつつも、官能的な美しさを持っているということが私の理想です。そのため、私の作品は「小品」や「ミサ曲」などの形式の名前が付けられていることが多くあります。そして、この官能的な美しさとは主観的に感じる美しさであり、形式的な美しさとは客観的に感じる美しさであるともいえます。その意味で私にとっての美しさとは主観的にも客観的にも美しいと感じるものであります。
「官能美と形式美の均衡」を目指しながら、私が大切にしていることは流行にとらわれないということです。流行りのものは良く感じさせることが多いのですが、それを追いかけるよりも、自分自身の美への感性を磨くことを大切にした方が良いと思われるのです。そのため時流に流されないように心がけています。
そしてもう一つ大切にしていることがあります。それは美しさに美しさ以外の意味や理由を持たせないということです。つまり、美しさでもって何かしらのメッセージや自分自身の感情を訴えたり、観念や意図を美に負わせないということです。
ところで、かつて美しさはムーサの神々がもたらすものだと考えられていました。美とは自らが生み出すものではなく、まさに天から降りてくるものだと。そのような美しさにメッセージや自分自身の感情、観念、意図を持たせることによって美を汚したくない。そのような気持ちがあるのです。そこから意味を持たない美しさを大切にしています。私にとっての美しさには美しいということ以外に意味はなく、それは美しさのための美しさであるともいえます。
これらの考え方は保守的なもののように思われるかもしれません。しかし、官能的な美しさと形式的な美しさの均衡を大切にしながら、時流に流されないただ美しい音楽をこれからも追求していきたいと思います。
2021.9.15
創作の手帖
−「記憶」をテーマに−
自明のことではありますが、特殊な場合を除き、人は記憶を持ちます。
記憶のために人は楽しくもなりますし、哀しくもなります。
すでに過去のことであるのにもかかわらず、その人にとってその記憶とは自分自身の存在と切り離せないものです。
最近私は「記憶」をテーマに作曲しています。
2019年の秋にドイツから帰国した後、母校に中途採用され、慌ただしい業務がひと段落したころに首里城が燃えました。
テレビに映されたその光景からはあまりにも非現実的な印象を受けましたが、大学に着くと、それが現実だということを焦げ臭い煤の匂いを運んできた風が教えてくれました。
何かが失われてからその存在の大きさに気がつくことがあります。その何かが失われてしまったことがさびしいということもありますし、同時に、その何かがあったころの自分自身がすでに過去のものになっていることに気がついてしまうさびしさもあります。
何かとの別れは常に自分自身との別れでもあります。
そして、失われたものが大きければ大きいほど記憶に残ります。何かの記憶が思い起こされることとは、すでに失われた何かとの邂逅でもあり、それはその何かがあったころの自分自身との邂逅でもあるのでしょう。
火災の翌年、2月だというのにすでに暑いある日に、私は浜松の知人に編曲の譜面を送るために郵便局に急いでいました。大学から郵便局に行くためには大学のそばの高台を超えるのが一番近い。暑さのために高台の上で一休みすると、大学のグラウンドが目に入り、懐かしさを感じる風が吹いてきました………
そんな一連の感情のゆらぎから私は「記憶」をテーマにするようになりました。
ところで、そもそも大学に通っていたころから私は理想を過去に置きながら作曲をしてきました。私の理想はつねに過去にあります。
しかし、何かを作るということは未来志向の行為でもあります。そのように未来に向いた活動を通して、過去を思い描くということは矛盾をはらんでいるように思えますが、次第にその矛盾をそのまま受け入れられるようになりました。
それはかつて存在した大きな「美しさ」のためです。
「美しさ」そのものが、そのような矛盾を私に受け入れさせる力となっています。つまり、それは端的に言いますと、「美しければそれでいいじゃないか」と思わせてくれているのです。さまざまなつらさや生きづらさを感じる時も、美は私を支えてくれます。
さて、そんな気持ちで、あるハーモニカ奏者の方から委嘱を受けて「5つの小品〜ヴェルレーヌを讃えて〜」という作品を作りました。(くわしい解説はまたどこかで)
そしてこれから創作に取り組む2つの委嘱作品でも「記憶」をテーマにしています。1つはあるホールの方からお話をいただいたもので、もう1つは少し独特な企画の中で初演する作品。
それらも形になってきましたらお知らせします。